境界線

2002年5月15日
「どこが境界線なわけ?愛情と、友情と」
あたしの問いに、アサヒは間髪入れず即答した。
「やりたいと思うか、そうでないか」
そのあと、子供みたいに真っ白な笑顔で付け足すようにこう言った。
「1度でも抱きたいと思っちゃったら、もう友達には戻れないな、多分」
アサヒのその言葉が、ずっとずっとあたしの心の奥底で眠り続けている。

アサヒを、捕まえたかった。
歯に衣着せぬその物言いも、
あっけらかんとして後腐れない気持ちのイイ性も、憧れてやまないものだった。
あたしは、あたしにないモノをアサヒで埋めようとしているんだ。
そう何度も言い聞かせた。
小さな狩猟本能の種火は、おくびにも出さずに。
アサヒとの友情は続いていた。
抱きたいと思ってはくれない彼女にほんの少しの憎しみと、やり切れないほどの深い愛情を注ぎながら。

「あ、別れたよ」
「またなの?」
あたしはかなり呆れてへらへら笑うアサヒの口元をにらみつけた。
「しょうがないじゃん。あのコうるさいんだもん。シャワー浴びさせろとか脱がせた服はたためとか。萎えるっての」
「でもね、ちょっとは妥協するとかさあ・・・アサヒに出来るわけないか」
ため息混じりにあたしがこぼすとアサヒはタバコに火をつけ満足気な顔でこっちに向って煙を吐き出した。
いい加減もう慣れはしたが、煙草を吸わないあたしにとって、遠慮のないこの吸いっぷりが本当はちょっといまいましい。
不愉快さを口に出す代わりに、あたしはアサヒの指から吸いかけの煙草を取り上げ、彼女に向って煙をお返ししてやった。
「なにすんの、ミカ」
慌ててアサヒがあたしの手から煙草を取り上げる。
普段から煙草の弊害をあからさまに嘆くあたしを知ってるからこその驚きだ。
大体、自分で自分の健康を害そうなんて考え方が
あたしにはいけすかないのだ。
「吸うときは窓くらい開けてよ」
「ごめんなさい」
素直にしおれてあやまるアサヒを見て、あたしは吹き出してしまった。
こういう時の彼女はかわいいと、心から思う。
アサヒはあたしの笑みがうつったみたくぱっと顔を輝かせた。
そして窓を開け放ち、窓枠に頬杖をついて
外に向って煙を吐き出した。
陽光が差し込んでアサヒの横顔を照らしている。
吹き込んできた風はアサヒの長めの前髪を少し揺らす程度の穏やかさで、心地よさを運んでくる。
あたしはしばし、見とれてしまった。
少年のように日焼けしたその肌にはお日様がよく似合う。
茶髪をシュウマイの上のグリンピースと同じ位嫌っているアサヒの髪は生まれたままの黒だ。
そのくせ付き合う相手は大抵茶色い髪の女の子で。
伸び過ぎたえり足がもう少しで肩に届きそうだ。
もう一度、風がふいた。
アサヒに触れたその風が、今度はあたしの頬を通り抜ける。
「ミカあ」
唐突に名を呼ばれ、あたしはスイッチを切り替えた。
恋情から、友情へ。
「なに?」
アサヒは外を向いたままの姿勢で今夜飲みに行こうよ、と言った。
「はいはい、素敵な出会いを求めに、でしょ?」
「ご名答」
極上の笑顔で、アサヒが振りかえる。あたしの胸に、小さな針を残しながら。

女の子と一緒に住んでるよ、と言うと大学の友達はちょっと驚く。
ルームメイトなんて楽しそうだね。でも気を遣わない?
そういう答えが返ってくることが多い。
それはそれなりに気を遣う時もある。
アサヒはあんな性格だからそんな事気にしていないだろうが、なにぶん女二人の共同生活だ。
どちらかが折れなければやってらんない事もある。
いつだって好き放題生きているアサヒ。
頑固で毒舌家のあたし。
夜中の3時過ぎに帰ってきて鍵をなくしたから家に入れないと電話で叩き起こされた時はさすがに腹が立ったけど、あたしたちの部屋に女の子を連れ込んだ事は一度もないし(これは二人の間の不文律なのだ)低血圧で朝はすこぶる不機嫌なあたしに文句言いながらも根気良く叩き起こしてコーヒーを淹れてくれるくらいの優しさを、アサヒは持ち合わせてる。
散らかすのはアサヒの仕事で、片してまわるのがあたしの役目。
料理の専門学校に通うアサヒはご飯を作るのが得意で、不器用なあたしは専ら試食係。
それなりに毎日楽しくやってる方だと思う。
それにアサヒは隠し事をしない。出来ない体質なんだろう。
今付き合ってるのは誰でどこでデートしたのか。
どんな言葉をささやいて体を開かせるのか。
あたしは何でも知っている。
時々アサヒの語った通り、想像してしまうことがあった。
アサヒも寝静まった深夜、ベッドの上で。
手首をハンカチで縛られ全身を指でなぞられたり。
イスの上に座り開かされた脚をアサヒが触れずに眺めている姿とか。
現実には一度もアサヒに抱かれた事などないのに、
あたしは既に何度も犯されていた。
記憶の中でだけ。
あたしは切望する。
本当のアサヒが欲しいと、何度も願う。
けれどアサヒはそんなあたしの気持ちにはカケラも気づかずに、得意げに新しいパートナーとのSEXを話し始めるんだ。
きっと今夜もまた。

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