早生氏の憂鬱。
2003年4月13日慣れろ。
脳の中をその言葉がさっきから循環している。
深久はこれから離れていく人間なのだ。
今はそれの予行練習だ。
少しずつこの状況に慣れるしかない。
そう頭ではわかっていても心がきゅうきゅう音を立てている。
ほんの少しの間連絡が取れないだけでも、こんなにも動揺してしまう。
今日何度目かのため息をつき、俺は立ち上がったパソコンの画面を眺め、メールの受け取りにざっと目を通す。
早急に処理しなければならない数件にレスを返した後、生徒からの質問に答える。
アドレスを公開しているので予備校の生徒から毎日数件の質問のメールが届くのだ。
今日の講義の数問についての手応えのある質問に答えを返していると、いらついた気持ちが何とか収まった。
考える隙間がなかったのが幸いしたのかもしれない。
それらにレスを送り終えた時、ちょうど一件新たにメールを受信した。
誰だろうこんな時間に、と思いつつ画面に呼び出すと俺はどきりとした。
沢木カナコだ。
毎日授業後に直接質問に来るが、メールが入ってきたのは初めてだった。
彼女がこちらを意識して見ているのはわかっている。
学生時代と合わせればもう7年近く塾講師をやっているのだ。
恋愛めいた匂いは大抵嗅ぎ分けられるし、遠回しに封じ込めてやるマニュアルもそれなりに心得ている。
けれど、彼女は特別だった。そんな小賢しい予防線を飛び越え、攻めて来る感じ。
そう、一枚上手なのだ。
頭の回転が早いせいかこちらのやり方を上回る方法で駆け引きしてくる。
正直、手こずっていた。振り回されていると言ってもいい。
当たり障りのない数学の質問の後ろに一言、書き添えられていた。
明日も会えるの楽しみにしてるよ。せんせいも?
あからさまな態度を見せ付けてくる生徒をさばくのはたやすい。
メールにデートしようよとか好きだなんて書いてくる生徒もたまにいるが、そういう子達は半ば冗談交じりだったり、上手くいけば儲けモン的な軽い気持ちの場合が多い。
本気の子は見つめてくる眼差しが違うけれど・・・カナコのメールの裏にはどんな気持ちが潜んでいるのか。
からかっているのか、単に挨拶程度なのか、それとも・・・
せんせい、と呼びかける時のカナコの目を思い出しながら髪をくしゃくしゃかき回した。
やっかいだな・・・。
「へえ、もてるね先生」
突然後ろから声がして振り向くと、深久がいつの間にか覗き込んでいた。
彼女が気に入っているバニラの香りのボディシャンプーが風呂上りの湯気と共にほのかに立ち上がっている。
それをなるべく意識しないように俺は画面に目を戻した。
「のぞいてんなよ」
「あ、やーらし。隠してんの?」
「お前なあ・・」
「でも嬉しいでしょ?こんな風に言われると」
「相手にもよるよ」
俺は気を紛らわそうと煙草を取り出し火をつけないままくわえた。
「この子は?可愛い?」
「お前よりはな」
「あ。ひどい・・・」
言いながらも深久はあからさまに興味を示して身を乗り出してくる。
「髪ふけよ。しずくたれてんぞ」
「へえ、質問?・・・うわ難しそ・・」
深久を無視して俺は事務的に解き方のアドバイスを書き込んで返信する。
「あれれ〜答えだけでいいの?」
「いーの。いちいち応えてらんないよ」
「へええ、そう」
「何だよその言い方」
振り返るとすぐ横で深久がにやにやしてこちらを見ている。
「不自由してませんって顔してる。やな大人ー」
「放っとけ」
本当に好きな女は手に入らない。それは不自由とは言わないのだろうか。
まったくこいつは何もわかってない。
「私もう寝るわ。おやすみなさあい」
「おやすみ」
「あ、それと」
一旦閉めたドアをもう一度開いて深久が顔を出した。
「無視はダメだよ。そういう傷つけ方はダメ。じゃあほんとにおやすみ〜」
パタン、と閉まったドアを振り返りしばらく見つめてから、俺はもう一度髪をかき混ぜて画面をにらんだ。
脳の中をその言葉がさっきから循環している。
深久はこれから離れていく人間なのだ。
今はそれの予行練習だ。
少しずつこの状況に慣れるしかない。
そう頭ではわかっていても心がきゅうきゅう音を立てている。
ほんの少しの間連絡が取れないだけでも、こんなにも動揺してしまう。
今日何度目かのため息をつき、俺は立ち上がったパソコンの画面を眺め、メールの受け取りにざっと目を通す。
早急に処理しなければならない数件にレスを返した後、生徒からの質問に答える。
アドレスを公開しているので予備校の生徒から毎日数件の質問のメールが届くのだ。
今日の講義の数問についての手応えのある質問に答えを返していると、いらついた気持ちが何とか収まった。
考える隙間がなかったのが幸いしたのかもしれない。
それらにレスを送り終えた時、ちょうど一件新たにメールを受信した。
誰だろうこんな時間に、と思いつつ画面に呼び出すと俺はどきりとした。
沢木カナコだ。
毎日授業後に直接質問に来るが、メールが入ってきたのは初めてだった。
彼女がこちらを意識して見ているのはわかっている。
学生時代と合わせればもう7年近く塾講師をやっているのだ。
恋愛めいた匂いは大抵嗅ぎ分けられるし、遠回しに封じ込めてやるマニュアルもそれなりに心得ている。
けれど、彼女は特別だった。そんな小賢しい予防線を飛び越え、攻めて来る感じ。
そう、一枚上手なのだ。
頭の回転が早いせいかこちらのやり方を上回る方法で駆け引きしてくる。
正直、手こずっていた。振り回されていると言ってもいい。
当たり障りのない数学の質問の後ろに一言、書き添えられていた。
明日も会えるの楽しみにしてるよ。せんせいも?
あからさまな態度を見せ付けてくる生徒をさばくのはたやすい。
メールにデートしようよとか好きだなんて書いてくる生徒もたまにいるが、そういう子達は半ば冗談交じりだったり、上手くいけば儲けモン的な軽い気持ちの場合が多い。
本気の子は見つめてくる眼差しが違うけれど・・・カナコのメールの裏にはどんな気持ちが潜んでいるのか。
からかっているのか、単に挨拶程度なのか、それとも・・・
せんせい、と呼びかける時のカナコの目を思い出しながら髪をくしゃくしゃかき回した。
やっかいだな・・・。
「へえ、もてるね先生」
突然後ろから声がして振り向くと、深久がいつの間にか覗き込んでいた。
彼女が気に入っているバニラの香りのボディシャンプーが風呂上りの湯気と共にほのかに立ち上がっている。
それをなるべく意識しないように俺は画面に目を戻した。
「のぞいてんなよ」
「あ、やーらし。隠してんの?」
「お前なあ・・」
「でも嬉しいでしょ?こんな風に言われると」
「相手にもよるよ」
俺は気を紛らわそうと煙草を取り出し火をつけないままくわえた。
「この子は?可愛い?」
「お前よりはな」
「あ。ひどい・・・」
言いながらも深久はあからさまに興味を示して身を乗り出してくる。
「髪ふけよ。しずくたれてんぞ」
「へえ、質問?・・・うわ難しそ・・」
深久を無視して俺は事務的に解き方のアドバイスを書き込んで返信する。
「あれれ〜答えだけでいいの?」
「いーの。いちいち応えてらんないよ」
「へええ、そう」
「何だよその言い方」
振り返るとすぐ横で深久がにやにやしてこちらを見ている。
「不自由してませんって顔してる。やな大人ー」
「放っとけ」
本当に好きな女は手に入らない。それは不自由とは言わないのだろうか。
まったくこいつは何もわかってない。
「私もう寝るわ。おやすみなさあい」
「おやすみ」
「あ、それと」
一旦閉めたドアをもう一度開いて深久が顔を出した。
「無視はダメだよ。そういう傷つけ方はダメ。じゃあほんとにおやすみ〜」
パタン、と閉まったドアを振り返りしばらく見つめてから、俺はもう一度髪をかき混ぜて画面をにらんだ。
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