抱くなら本物を。

2003年5月7日
「遅いよ早生ちゃん」
「わりい。で、遅れついでにあんまりゆっくりもできないんだ。深久が風邪ひいちゃってさ・・」
「あれ。それって早生ちゃんのせいだね」
本田が顔をしかめて断定的に言った後、コーヒーをすすった。
俺は手を挙げてコーヒーを注文してから煙草に火を点けた。
「どういう意味、それ?」
「お兄ちゃんが帰ってこないんですう」
いきなり泣き出しそうな声を出して本田が唇を尖らせた。
「あ・・・もしかして、深久」
「うん。電話がきたよ。早生ちゃん朝帰り?」
限りなく下品に近い笑みを爽やかに頬に乗せて(こいつはそれができるのだ、実際)本田が俺の肩を叩いた。
「何て言ってた?」
「お兄ちゃんと連絡が取れないんですってさ。早生君電源切ってたの?うわいやらしい」
「お前に言われたくねえっちゅーの」
力なく切り返して俺は煙を吐き出した。
「いや、冗談は抜きでさ、深久ちゃん泣きべそ状態だったんだぜ?声震えてたし。おれ飛んでって抱きしめてやりたくなっちゃったよ」
俺がにらむと本田は苦笑いした。
「早生ちゃんが悪いんだろうが・・・女のとこか?」
「ああ」
「どんな女よ?同僚か?」
「いや」
「ナンパ?生徒?何だよ、教えてよ」
言いたくなかった。本田がどんな反応を見せるかは目に見えている。
それを考えると胃の辺りが急速に縮こまる。
ちょうど注文したコーヒーをウエイトレスが運んできた。俺は煙草をねじ込み、喉を潤してから切り出した。
「・・・お前も知ってる」
「え、誰?・・・まさかおれの彼女?」
「んな訳ねーだろ」
おどける本田をぴしゃりと切り捨てる。
本田も真面目な顔に切り替えて俺の顔をのぞきこんできた。
「まさか・・・サキちゃんか?」
「ああ。横浜で偶然会った」
「ほんとに偶然か?どっちかが仕組んだんじゃなくて?」
「俺はまったく予想もしてなかったよ。あっちもかなり驚いてた。今は横浜に住んでるらしいよ。オトコもいるって言ってた」
「何だよそれ。でも食ったんだろ?」
「・・・お前の言い方はえげつないな」
俺が眉をしかめると本田も同じ顔をした。
「事実だろ。で、どうだったよ、久々に抱く元カノは」
「キレイになってた」
「はあん」
本田はおかしな鼻息で一蹴した。
「サキちゃんは昔からキレイだったさ」
「わかってる。でもキレイになってた」
「何て言ってた?」
「深久だと思って抱けってさ」
それを聞くと本田は目を瞠り、そして細めた。
「お前、まさかそれ・・・」
何もいえない俺に本田は吐き捨てるように言った。
「ひどい男だな」
「それもわかってる」
「わかってねーよ」
本田は髪に指を差し入れかきまわした。
「わかってねえよ、お前は。サキちゃんをそうやって抱いたって同じとこぐるぐる回るだけだろ?本気でサキちゃんがそんなこと言ってるなんて信じてるんじゃねーだろうな?」
俺はその質問にも答えられなかった。
あの時は、本気でそう思っていた。
「救いようがねえな」
本田はコーヒーを飲み干して言った。
「この前おれが言ったのはそういうことじゃない。わかってるんだろ」
「多分・・・」
「そんな風に両方が傷つくようなやり方はよせよ。それは・・・早生ちゃんも傷つく」
「そうだな・・・もうサキには会わないと思う」
沈黙が落ちる。
破ったのは、本田だった。
本田は早生ちゃん、と俺を呼んだ。
優しい目をしていた。迷子の子供をいたわるように。
「お前さ、言っちゃえよ、深久ちゃんに。それで壊しちまえ。何もかも。抱くんなら本物を抱きゃいいじゃねえか」
「ああ・・・」
「・・・まあそれはおれの意見。後は早生ちゃんが決めてよ。さ、そろそろ帰ろうか?深久ちゃんが待ってるんだろ」

帰りの車の中で、俺は果てしなく憂鬱な気分に襲われた。
壊したいと思ったことは一度や二度じゃない。
こんなおままごとみたいな生活を延々と続けていくのを思うとやりきれなくなる。
でも・・この生活を壊すこと、それは深久を失うことだ。

どうして俺は深久を好きになってしまったんだろう?
どうして他の誰かじゃいけないんだろう?
何度も何度も繰り返してきた自分自身への問いを、今また繰り返す。
「幸せになれないよ」
ついさっきカナコに言われた言葉が蘇る。
「それでも俺はやっぱり・・・」
俺はアクセルを強く踏み込んだ。
深久の元へ帰るために。

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