胸の奥がいつまでもたぎるように熱い。
くすぶってるなんて生易しい炎じゃない。
灼熱の砂漠で干上がるような焦燥感。
”それ”を見た瞬間、理性なんて吹っ飛んでいた。
一瞬の殺意すら、芽生えた。

いつかは深久もハルとそうなるかもしれないというのは判ってる。
そのための心の準備だってそれなりにしてきたつもりだ。
つもりだった。
・・・なのに何だ、この感情は・・・?

深久に対する憤りもあった。
時々ヘンに無防備なところがある。
無邪気さは罪だ。
無意識のうちに自分が煽っていることをきっと気付いていないのだろう。
キスされただけ?
ふざけるな。
誰か他の男がお前を見つめていることを想像するだけでもこんなに・・・胸が苦しいのに。

もっと想像しろよ。
お前の服を脱がせ、愛撫し中に入って掻き回し喘がせて壊したいと思っている人間もいることを。
優しく見守るだけじゃ満足できない男もいることを。
・・判ってる、これは嫉妬だ。

殺したいくらい、俺はハルになり代わりたいんだ。

「おはよう」
「あ・・おはよう、お兄ちゃん」
ほっとしたような笑顔で深久が応えた。
「お兄ちゃんが自分から起きてくるなんて珍しいね」
「そうだな。・・俺朝飯はいいよ。すぐ出かける」
そういうと深久は怯えたような顔をしてまだ怒ってる?ときいてきた。
怒っては、いない。
怒りはむしろ空しさに置き換わっていた。

どんなに切望しても手が届かないもの。
すぐそこにあるのに触れられないもの。
それと共存していく他ないのだと思い知った。
それは想像するより遥かに険しい道だと身をもって知ってしまった。
俺に・・・できるんだろうか?

「怒ってないよ。今日は直前講習だから」
深久の顔を見るとつい想像してしまう。
どんな風にその唇が奪われたのか。
どんな風にハルのそれに応じたのか。
痛みに似た感情をねじ伏せて俺は笑顔を作った。
「そっか。よかった・・昨日は心配かけてごめんなさい」
「ああ。お前は今日バイトだっけ?」
「そう。もしかしたら、今日もちょっとおそくなるかも・・」
「そうか」
ハルとまた会うのだろう。
もう何も考えたくなかった。考えなければこの痛みを味わわないで済む。いっそのことまひしてくれればいいのに、深久の言葉はいちいち穴を穿つ。
「じゃあ行ってくるよ」

外は気持ちいいくらいの快晴で、日差しが柔らかく差し込んでいた。小春日和だ。センター試験も終わり、二次が近づいているこの時期はうちの予備校にもぎすぎすした雰囲気が漂い始めている。
俺たち講師にとってこのシーズンを迎えるのは毎年のことだが、受験生にとっては人生を左右する大切な時期だ。
私大の試験もぼちぼち始まっていた。カナコも確か今日が滑り止めの試験日なはずだ。
教員室で誰かが噂していた気がする。

夕方近くなってから雲行きが怪しくなってきた。
風が強く吹きつけ、5時くらいには冬なのに珍しく遠雷が聞こえ始めていた。
直前講習のこの時期はいつもと授業時間が違い、今日はたまたま早い時間に身体が空いた。
でも家に帰っても悶々と深久の帰りを待つだけになりそうで気が滅入る。
本田でも呼び出そうかと非常階段まで出て煙草に火を点けると、下の方からせんせい、と呼ぶ声が聞こえた。
手すり越しに覗き込むと沢木カナコが手を振っている。
「そっち行っていい?」
いやとも言えず頷くとカナコは嬉々として階段を昇ってきた。
ここは3階なのに駆け上がってきたらしい。
思いの他早くついたカナコは軽く息をはずませていた。
「今日入試だったって?」
「あ、知ってたんだ」
顔をほころばせながらカナコが頷いた。
「なんとバレンタインデーに通知が来るのだ。受かったらごほうびに何かちょうだい?」
そう言いながら腕を絡めて見上げてくる。
俺は敢えてそれを振り切らずに煙草を携帯灰皿にねじ込んでからポケットにしまった。
「あれ?俺がもらう方じゃなくて?」
そう言ってのぞき返してやるとカナコはちょっと戸惑ったように腕を放した。
「今日は・・・怒らないのね?」
「うん。今日の俺は寛大なんだ」
「何かいい事あったの?」
「むしろ逆かな」
笑顔で答える俺を見つめ、カナコが言った。
「・・・寂しいの?」
直球で懐へ飛び込んでくるこの距離感のなさに、俺はいつもいつも撃たれてしまう。
寂しい。そうか。
誰も何も言ってくれなかったけれど、俺は寂しいのかもしれない。
片恋の相手が妹だなんて。なくす時はいっぺんに2つもだ。
そして今、タイムリミットが近づいてきている気がする。
何よりも大切なものが永遠に失われる瞬間が。
怖い、哀しい。そして、寂しい。
「沢木さんメキシコ料理好き?」
「え・・食べたことない」
「おごるよ。あと5分待っててくれたら」
ぱ、っと瞳が輝き、カナコはうなずいた。

「美味い店があるんだ。俺のうちの近くに」
「辛い?」
「ものにもよるね。苦手?」
「だあいすき」
にこにこしながらカナコが言った。
「唐辛子系が大好きよ。キムチチゲとか」
「嫌いなものは?」
「あんまりないな・・・食べられるものは大抵おいしくいただくわ。あ・・でもあれだ。シラスの中に時々小さいイカが混じってるじゃない?」
「うん」
「あれだけはダメ。ほんっとにダメ。イカ料理はむしろ好きなのよ?でもちびイカの目がね・・・ああもう思い出すだけでイヤ」
俺は微笑んだ。カナコにも可愛いところがある。
「そう、沢木さんの唯一の弱点だ」
「唯一じゃないよ」
澄ましてカナコが言った。ミラー越しに俺を指差して。
「せんせいもそのうちのひとつ」
「はいはい」
「あ。今のいつものせんせいっぽかった」
「俺が何?」
「何か今日ヘンなんだもん。食事に誘ってくれること自体天変地異よ?」
「バレンタインデーのお返し」
「まだこれからじゃない。しかもあげるなんて言ってないし」
「くれないんだ?」
ハンドルを握ったまま挑発的に聞くとカナコはもう、と笑った。
「あげるわよ。負けました・・・」

食事が終わった後、店から出ると凄まじいほどの集中豪雨だった。
雷が鳴り響き、吹き付ける風にあおられる。
二人とも傘を持っていなかったが多分あっても無駄だっただろう。
駐車場まで走ったがずぶぬれになってしまった。
カナコがけらけら笑い、気持ちいいと空に向かって叫んでいた。声は雨音に吸い込まれかき消された。
カナコはスカートの裾をもちあげ軽く絞ってから助手席に乗り込んだ。
その一瞬の腿の白さにどきりとさせられる。
「寒い〜風邪引きそう、せんせい。着替え貸して?近いんでしょ、おうち。深久さんにも会ってみたい」
「いないよ、多分。彼氏とデートだ」
「・・・切ないね、せんせい」

うちの駐車場からマンションまででまた濡れてしまった。案の定、部屋の電気は点いていない。
やっぱりハルの所なのだろう。
ずきずきと痛みがこみ上げてくる。
「ねえせんせい、シャワー貸して。寒すぎ」

★お前も部屋にあげとるやん!!ばか早生!!っつー突っ込みはご遠慮致します(笑)この小説の頭からのコンテンツを始め、ライターの熱い日常日記などのトップページはこちらとなっております。→http://members.tripod.co.jp/raita_/index-2.html きてね★

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